| 2004.10 |
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母の健康診断に付き添い、父も健康診断を受ける。
→レントゲンで、胸部に影を発見。 |
| 2004.11 |
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総合病院にて、CT検査 → 遠位弓部大動脈瘤 と診断された。 |
| 2004.12 |
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主治医(健康診断をした医者)は、年齢的なこともあり、手術をせず現状のままで過ごすことを薦めるが、総合病院では、直ぐに手術を勧められ、入院の案内までされた。
しかし、本人も家族も分からないことだっらけで、途方に暮れる。 |
| 2005. 1 |
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インターネットや書籍にて、動脈瘤について調べるが、やはり最善の治療は手術らしい。
アルゼンチンの医師が、ステントグラフト内挿術による治療を開始し、アメリカのスタンフォード大学で胸部域の治療を成功させたことを発見。
更に、日本でも数箇所、その治療を行っている事が分かった。 |
| 2005. 2 |
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2/28、地元の国立医科大学病院に、この病気についてとても有名な先生がいらっしゃると聞き、直ぐに受診。
しかし、診察を指名でその先生にお願いしたにも関わらす、実際には、診療日なのに診療しておらず、受診は助手の先生となり、やはり、手術しか方法は無いと言われた。そこで、短期だが調べた知識で、「ステンドグラフト内挿術」の手術の可能性について質問すると、「その手術をやっているところはあるが、お父さんの場所は無理だ。出来るんだったら、私も○○病院は知っているから紹介してあげるけど、あなたのは100%無理」と言われた。 |
| 2005. 3 |
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私の最有力候補だった東京にある○○病院は、上記の助手先生が言った一言で無理かと思ったが、
あきらめきれず、直ぐにメールで先生に状況を説明し、診察を申し込む。
返事は直ぐに帰ってきて、週末土曜日の受診予約が出来た。
受診してみると、やはり本やインターネットでは分からなかった問題がでて来るが、
先生は、「精密検査が必要だが、うちの技術ならまず治療可能」だと言われ、直ぐに入院予約をする。
本人、家族もちょっと一安心。しかし、手術は5月予定。
月末に、3級身体障害者手帳が交付された。 |
| 2005. 4 |
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○○病院から電話があり、医療ミスの報道があり、心臓血管外科が閉鎖され、入院できないことになった。
また途方に暮れるが、諦めたくない。
いくつか候補の病院のうち、父のケースに近そうな病院をピックアップし、
予約を入れ数件の病院を受診する。 そこで、「うちでは出来ないけど、京都の○○先生ならやってるかもしれない。」との話があり、
その先生の事は、私も調べて知ってはいたけど、どこに連絡すればいいのかも分からずにいた。先生を紹介して頂けると言うことになり、早速受診する。
先生に直接メールでお願いしたため、予約無しの状態で、ほぼ半日待たされたが受診でき、
しかも、まず治療が可能だと言う。早速、先生の指示により京都の大学病院に入院予約をする。
ありがたいことに、東京の病院と同じ日の入院予約だった。 |
| 2005. 5 |
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5/10入院。これから8日間、手術前の検査、父の動脈瘤に使うステントグラフトの設計製作も行う。
5/18手術。2時間くらいの予定だったか、手術室から出てきたのは7時間30分後だった。
目的の部分への治療は、スムーズに終わったが、カテーテルを通した左足の動脈が、
動脈硬化でうまく縫製できなかったようで、結局、目的の場所以外に2箇所のステントグラフトにより補強を行って終了したと言うことだった。
5/19午前中から、歩行練習(早い!!)、顔のむくみもほぼ治った。
− 余談 −
退院日の決まった5/23、退院6日目に、娘が転んで、目の上を切り、病院に行った。大したことは無かったが、気がめいった。
5/24日、朝、今度は、母が4年前に手術した変形性股関節症の脚を脱臼し、救急車で運ばれ、別の病院に入院してしまった。父の退院、5日前だと言うのに・・・
うちの奥様は、子供を連れて、入院準備やら何やらで、病院のハシゴ。さぞ大変だったことでしょう。お疲れ様でした。
そして入院してから18日目に退院。(母も連れて帰ってきました。)
退院した父が主役なはずなのに、母の介助をしていたのは、コッケイでした。 |
2005.
6〜8 |
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退院してから、ほとんど平常の生活が出来るが、微熱が続いた。 |
| 2005.11 |
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11/22、6ヶ月目の検診で再び京都へ。結果異常なし。
そのあしで、久々に家族でミニ旅行をしました。(うちの奥様に感謝) |